院長紹介

院長紹介

新高円寺マッサージ、高円寺整体、マッサージ、骨盤矯正、杉並マッサージ、産前産後マッサージ、

患者さんが殺到する最強の治療家

 

「子供も小学生になって自分のこと少しだけできるようになったのに・・・そろそろなんだか好きなことやろうと思ったけど私の体ボロボロだな・・・」

 

ベットが数台の施術室。

おもむろにドアを叩いた40代に手がとどきそうにみえる女性が

自分の首まわりをさわりながらつぶやいた。

 

「大丈夫です。お歳のせいじゃないですよ、

ただ、ケアする時間がなかっただけですよ。」

 

「でも全身マッサージに行っても全然ダメで、

すぐもどってまたぶり返すんですよ。」

 

「私に任せてください。痛いところだけもんでも良くはなりません。原因を探してそれを治しましょう。」

 

治療家にそう言われると女性は納得したような、

でもどこかまだ不安そうな表情をちらりとみせながら施術台に上がった。

 

治療家はその表情を見て、そりゃそうだと思う。

 

いろんなマッサージ屋さんや鍼がちまたにあふれていてそれをいやというほど経験してきたのだから。

その表情はむしろ自然である。

 

しかし治療家はそんな不安な表情を見ても全く気にすることは無い。

 

これまで何度も向けられたその不安な表情を自らの手で変えてきた実績があるからだ。

 

治療家の名前は長谷川智規、42歳

 

社会でいうところのあぶらの乗った年齢であり、はせがわ整骨院代表である。

患者さんの声から開業することを決定した

 

「はせがわ整骨院」は遠方からも足を運ばれる方が多い。

 

そしてその多くは他院と比べて高額な施術費にもかかわらずひっきりなしに患者が訪れるといわれる「はせがわ整骨院」の評判から起こされるイメージとは大きく異なる。少ないベットに五日市街道のような人通りが多いとは言えない立地に驚く。

 

「先生、もっとたくさんベットを置いて人の多いところに引っ越さないんですか?ってよく言われるんですよ。」

 

長谷川は楽しそうに笑う。

 

「でもね。私は2本の腕と10本の指だけです。

広い店舗や人が多いところに行ってもやることは同じです。

患者さんの身体をよく診て原因を探して治す施術をすることが私のやることで、使命です。」

たくさのベットを見回ることや口ばかり動かしてみることは、引っ越せばできるかもしれません。しかし、それは患者さん本人のためにはなりません。全身マッサージをしているにすぎません。治療家が違う人になったら嫌じゃないですか?

「私は人とのお付き合いは施術にもあると思うのです。

人にとことん向き合ってともに進んで上のステージへ向かっていくことが大切だと思うのです。」

 

そこには多くのベットはいりません。数台のベットスペースがあればそれでいい。

 

「人の体をもっともっと健康にする」それだけを考えて行動に移す。

 

治療バカとも言われるこの男の原点は一体どこにあるのか

 

バスケに明け暮れ苦い思いをした中学時代

 

1978年。長谷川は長岡市内の小さな町で生まれた。

 

小さいころから外遊びが大好きな男の子だった。走り回るエネルギーは中学に入ると友人とともにバスケットボールへ注がれるようになった。

明けても暮れてもコートを走り回る日々。そしてバスケ生活が人生の転機となる出来事を生み出す。

 

「痛ッ」

 

バスケのゴール下は戦場といわれるほどで、相手との接触は日常茶飯事

 

足首の捻挫発生件数は他のスポーツよりも群を抜いていて多く発生している。

 

しかし、その日は違ってた。

 

痛みからケガとわかっていたが、今までのものとは、次元が違う痛みが長谷川を襲った。

 

動いては立ち止まり、そして立ち上がれなくなった。

 

「トモノリ? 大丈夫か!」

「わりぃみんな・・・ 捻じったかも」

 

仲間に抱えられながらようやく家に帰りそのまま近所の整骨院に行くと、院長から「だいぶ強く捻じったね」捻挫は捻挫でも走り回るのに5週間くらいかかるとのことだった。

 

「バスケができない。それもひと月以上も・・・」

 

コートには別の選手が試合にでて学校の試合結果を刻んでいく。ベンチで応援し続ける日々だけれども、それでも部活が好きだった。一日でも早く回復してみんなとバスケがしたい。

 

整骨院に通い続けた。

くる日もくる日も足の指を動かしたり簡単な動きを確認するばかりの日々。

 

初めて整骨院で治療というものを受ける

 

「大丈夫。治るよ~~」白ヒゲおじいさん先生の優しい口調にホッとした。

 

私の気持ちは早く、早く、と急いでばかりでじっとしていられない。そのあせる気持ちを察したのか白ヒゲ先生は「大丈夫~~」と落ち着かせる。

 

一ヶ月が経つころ、「そろそろ練習してみ~~」

 

本当に大丈夫なのか?急に不安になった。今まですぐにコートに立ちたかったのに逆に不安な気持ちが込み上げてきた。

 

バスケは急にターンしたり、さらには高くジャンプする。着地は・・・

 

それはこの一ヶ月やっていない。コート上の出来事が頭をよぎった。

 

「大丈夫~大丈夫~~」

 

なんと、先生が部活練習を見に来てくれた。練習にアドバイスするわけでもなくずっと私を見ていた。ずっと視線を感じていた。

 

「よし、頑張ろう」と張り切った。そのせいなのか、練習は痛みを感じることなくうまくいった。

 

「うん、いけそう・・・」

 

それになにより楽しかった。いつの間にか先生はいなくなっていたけど、

 

走り跳び回る私の姿を見てきっと先生も喜んでいたと思う。

 

地味な訓練のように見えたものは最高のリハビリテーションだった。

 

精神的に不安になるであろう最初の練習時に見守ってくれたのは私の背中を押すためだった。

 

そのとき先生の慈愛の人柄に惚れたのと同時に、カッコイイと思った。

 

今振り返るとこんなふうに思う。

 

「治療家の仕事は単に怪我の治療をするだけではなくて心のケア・心的サポートをともに行うことが仕事のはずです。だから白髭先生は本当にしっかりと治療家の仕事を全うしたんだと思います」

 

「家の近くにたまたまいい先生がいたのは、僕にとってすごく大きかったことなんですよね。その時は治療家になろうとまでは思わなかったけど、

進路を考えるころになるとパッと進路選択肢が出てきたのは先生のお陰だと思います。」

 

長谷川はどんなに忙しくても、また短い時間の治療でも、

 

「患者さんが自分だったどうするか」「患者さんが自分の家族だったらどうするか」

 

と治療に入る前に考えることを忘れない。

 

この時の経験が活きているためであることは間違いない。

 

人生の大きな転機

長谷川は、柔道整復師の資格を取るため専門学校に通い始める。

 

しかしのんびりと学生然とした生活を送る余裕はない。入学後すぐ、学校に通いながら整骨院で働き始める。つまり、学びながら実務経験を積むことができるうえ、それほど多い金額ではないにしても給与をもらえるのだ。

 

「勉強するときはしっかり勉強する、それが済んでから現場に出る、なんて悠長なこと言ってられなかったから。

でもね、いま思うと、それがすごく良かったんですよ。実際、座学で学んだことなんてほとんど現場で活きないんです。役に立たない。」

 

「学校に行って、その日の帰りに整骨院に行くでしょ。あれ?って思うんですよ。

学校と職場の知識、技術に違いが多いなあ。ほぼ毎日思う。こんなふうに習ったけどなんで違うんかなって思う。矛盾があるんです。

その矛盾は何で生まれるのかって、純粋に興味が湧きましてね。いまの治療の原点ですよ。」

 

「『もしもあのとき『勉強が済んでから実務に移ろう』っていう考えで行動していたら、もっと全然違う考え方で、全然違う治療をしていたと思います。」

 

「『単に『いち早く収入を得たい』って思った結果の行動でしたが、結果的に良かったのかもしれませんね」

 

「大きな収入を得るために人よりたくさん働く」、

 

そればかり考えていた長谷川だったが、実務と座学を両立させることで少しずつ変わっていた。

 

治療の勉強にしても、現場での実務にしても、徐々に純粋な興味と向上心が芽生えてきたのである。

 

「この症状は、こうやって治療した方がより良いのではないか?」

「他の似た症状とどう違うのか?」

「なぜ、この部位にアプローチするのか?」

 

そんな素朴な疑問を持ちながら、自ら答えを模索する。

 

その日々は長谷川に、新しい楽しみを生み出した。

 

純粋に、治療が楽しい。

 

患者さんの体が、自らの手によって少しずつでも変わっていくのが楽しい。

 

結果、長谷川は、もっともっと技術と知識を身に付けたいと思うようになる。

 

そして専門学校の3年間の課程を修了し国家資格を取得する。

 

治療方針と保険に対して抱える葛藤

 

柔道整復師の1年次から通算3年間勤めていたのは、近くの整骨院だった。

 

保険が使えるため、患者が会計時に支払うのは数百円のみ。保険が使えるのは、交通事故やケガによって「負傷」したとされるためだ。

 

しかし、当時多くの整骨院がそうであったように、長谷川が勤めていた整骨院も、慢性的な腰痛や肩こりなどにも無理やり保険を適用させていた。

 

そのため、毎日多くのお年寄り患者が、その整骨院に通うことを日課にしていた。診療時間前から扉の外で列ができ、開けたと同時に待合室がいっぱいになる。飴を交換しながらのんびりと会話。そんな光景が毎日だった。

 

長谷川は、例えば慢性的な腰痛に保険を適用させることに、最初は「そんなもんか」と思っていた。

 

しかし少しずつ「やっぱりおかしいのではないか」という思いが芽生えてきた。

 

保険とは本来、使われるべき場面がある。

 

そして慢性的な腰痛を改善させることは、そこには含まれないはずだ。

 

税金の有効活用だとか医療費削減だとか、そんな大義名分を掲げたいわけではない。

 

長谷川がどうしても気になったのは、治療の原点である「患者の体をより良い状態にすること」が、保険適用一辺倒のままだと叶えられないのではないかという点だった。

 

保険適用だとどうしても、できる治療とできない治療が出てくる。また雇われの身であることもあって、通り一遍の施術しか提供できない。

 

保険が適用されることで大いに助けられる人がいることも間違いない。勤務先だった整骨院にも感謝している。

 

ただ、「この患者さんの、ここまで治してあげたい」と思っても、保険が邪魔をし、またその整骨院の方針とルールが邪魔をした。長谷川はどうにももどかしかった。

 

毎日のように「先生は治療うまいから開業したら」「私は先生じゃないとだめなの」という声が長谷川を後押しした。

 

患者さんのために。 御患者の家族のために。

 

自分で得た知識と、経験と、実務と座学の矛盾から、既に自分なりの治療方針は得られていた。この道数十年のベテランが聞けば鼻で笑うかもしれないが、長谷川はその方針に自信を持ちつつあった。

 

交通事故による負傷を追った患者もそうだが、長谷川が特にサポートをしたいと考えていたのは、スポーツで負傷した人たちだった。

 

それには、長谷川自身の中学時代の経験も活きていた。

 

あのとき、毎回数百円の支払いで適切なケアをしてもらえたこと、重度の捻挫も根気よく治療してもらい、時間はかかったものの以前と変わらぬプレーができるまでに回復させてもらえたことは、長谷川にとって大きい出来事だった。

 

だから自分も、スポーツでケガをした人を治してあげたい。

 

貫くためには、現場を変えなければならない。

 

そう考えた長谷川は整形外科やリハビリテーション施設や整体師のもとにも教えを乞いに勤務先を選択した。

 

根本治療のできる、治療方針に賛同できる治療院へと転職した。

 

転職先の方針は、以前の職場とは大きく異なっていた。

 

事前にそれを知り、よく調べていたからこそ、その整骨院で働きたいと思うようになったのだ。実際に働いてみると、想像以上に得るものの多い現場だった。

 

保険適用の治療がメインであることには変わりないが、患者も治療家も以前とは違う。

 

対症療法ではなく根本的に体を改善させる治療を行うことで、痛みを再発させない体づくりを目指す。

 

自分が考えていた治療方針の正しさをさらに裏付けることもできたし、修正することもできた。

 

何より、以前の職場よりもずっと「健康に関する正しい知識を提供して、意識も体も変えてあげることができた」と実感することが増えたのが良かった。

 

ただ一つ不満を挙げるとするならば、やはり雇われの身として自分が思うようにアドバイスをすることはできない、という点だ。

 

もっと強く言いたい。

 

もっと親身になって話を聞きたい。

 

そう思っても、どうしても限界がある。

 

しかしその点については、ちゃんと解決方法がある。そのことを長谷川は、数年前から薄々と、そして最近では強く意識していた。

 

独立。

 

自分の院を持った。

 

遠慮なく、自分が思うように指導して治療を施すことができる。

 

累計20年間以上の実務経験と資格(柔道整復師、機能訓練指導員、高度救急救命技能士、頸椎肩関節治療アドバイザー、全国交通事故治療認定治療家、日本手技療法ライセンス、整体でも自主的に学んで得た体・健康に関するその他知識。)

 

そして各職場と、そこから得た教訓。

 

患者を健康にしたいという、誰よりも強い思い。

 

それらが、長谷川に強い自信を持たせていた。自分ならやれる。患者と素晴らしい信頼関係を持って、皆を元気で健康で笑顔にすることができる。

 

そのための独立。

 

「治療バカ」だった長谷川は、今は治療院経営以外の仕事もこなしているが、治療院を長期で空けることは一切なく、以前と変わらず患者の健康を熱心にサポートしている。

 

「患者さんとはね、家族みたいな関係ですよ」

 

長谷川は言う。

 

「そんなに気を使うこともなく、言いたいこと言ってね(笑)。リラックスして施術受けに来てくれるし、僕の指導もよく理解してくれる。皆さん本当にいい方です。」

 

「僕は、自分の治療と知識に自信を持って治療院を始めました。その自信は今ももちろん持っています。でもそれだけじゃなくて、患者さんが受け入れてくれるからこそ今があるんだなってことを、最近はつくづく感じます。支えられてるなぁって。」

 

「だからこれからも、ますます恩返しをしていきたいです。僕ができる恩返しは、健康な体を維持してあげること。一番得意なことであり、一番、患者さんに必要なことです。」

 

「患者さんのことは、ずっとサポートしたいと思っています。」

 

患者を「家族」と呼ぶ長谷川。家に帰れば本当の家族、妻と子供がいる。まだまだ手のかかる盛りの小さな子供が、長谷川は可愛くて仕方がない。

 

この子たちのために仕事に燃え、毎日頑張っている一方で、「家族」と呼ぶ患者たちの体を診て健康をサポートすることを生業としている。

 

改めて考えてみれば 自分は家に帰っても仕事場に来ても「家族」に囲まれているんだな、と、長谷川は思う。そして、それがとても幸せなことだと日々かみしめている。

 

今日も新しい患者が、はせがわ整骨院の扉を叩く。

 

それを長谷川が、あまり器用とは言えない笑顔で迎える。

 

患者はその若さと、院の狭さを目の当たりにして、笑顔を返しながらも戸惑いを隠せない。

 

「今日からこの人との信頼作りが始まるんだな」と、長谷川は気合を入れる。

 

不安を笑顔にかえるのは、長谷川の得意分野だ。

 

今日、来週、そして1ヶ月後。この患者はきっと長谷川にこう言っているだろう。

 

「ちょっと前からは想像できないくらい良くなりました!」

 

「やっと自分のやりたいことがやれます!!」

 

これを読んでいるあなたも、「私もこんなふうに『体が良くなった!』って言いたい」と感じたなら、新高円寺にあるはせがわ整骨院をぜひ訪ねてほしい。

 

今はマルチな分野で活躍を見せつつ、原点である「治療バカ」の根を持つ、長谷川という治療家に会ってほしい。

 

きっとあなたの悩みは、その出会いの後間もなく、解消されるだろうから。